5年生になったばかりの4月の初め、学校のガラスを割って右手首を切ってしまいました。パニックになって…とかいうのではなく、その頃マイブームだったゲームの“太鼓の達人”を、ガラスに向かって真似していたそうです。誰が考えても無謀な行為ですが、そこにKATの力と思考のアンバランスを感じました。意外だったのはケガをしてすぐの行動で、とても冷静に、泣かずにガラスがささったままの状態で、自分から保健室へ行ったそうです。普段は転んで擦り傷ができたたけで大騒ぎをする子が…です。
しかし、保健室で手におえるような傷ではなく、「おそらく外科へ行って傷を縫う必要がある」という連絡がありました。本来なら保健室の先生が付き添って連れて行ってくれるそうなのですが、そんな治療にKATが耐えられるはずがなく、病院でパニックになるのは目に見えていました。急いで学校へ迎えに行き、近くの外科へ連れて行きました。(実はそれにも段取りがあり・・・ガラスはほとんど保健室で取っていただいていて、出血もそれほど多くなかったこともあり、一度家に帰って着替えてから行きました。それは、時間的に午後だったこともあり、KATにとって“母と帰る”という行動は“家に帰る”を意味していて、一旦家に帰らないと次の行動にいけないのです。)
予想通り傷を縫うことになり、麻酔の注射をすることになりました。そう…KATは世の中で注射が一番嫌いで、それだけで大パニックになります。障碍があることを話し、看護婦さんや事務員さん達総動員で、大暴れするKATの体を押さえつけ、縫合の治療が行われました。
治療が終わって倒れそうになったのは私・・・KATは家に帰ってからもずっと怒っていて、しばらくパニック状態が続きましたが、相手にしないでいると、いつの間にか疲れて眠っていました。そう、KATもおでこが内出血するくらい興奮して暴れたのです。
その日は金曜日で、夜、習字教室があるのですが、普通に考えると、右利きのKATが右手をケガしたので、痛くて「お休みします」と言うだろうと思います。ところが、眠りから覚めたKATは、平気で食事をして、傷口が開くのではないかと心配する位手を振り回して、習字教室も行く気満々です。痛くないのだろうか?と心配する私に「痛くありません!」と元気いっぱいで言います。自閉症特性の感覚の違いだろうか?と思いました。普通、縫合の治療の後はしばらく鈍痛がして、患部を動かすことなんてできないように思いますが、おそらく鈍い痛みに対しての感覚が鈍感なのではないかと感じました。
一週間後の抜糸の日、今にも腕を押さえようかと構える看護婦さんを尻目に、「糸をピッピッピッだよ」と言って、すんなり終わりました。もちろんその様子を“ジィーッ”と見ていました。これから起こる事を前もって知らせる事、そしてそれをしっかり見せてあげる事、それができれば落ち着いていられることを、身をもって教えてくれたのでした。
後日談・・・その時で懲りていたはずなのに、6年生の秋にもガラスを割ってケガをしました。まだ学校に先生方のあまり来ていない朝の早い時間だったので、原因をはっきり見た人はいませんでしたが、後からの推測で、ある子とトラブルになり、怒ってその子を追いかけての行動だったらしく、“パニックになって突発的に”は間違いないようです。
朝8時に学校からの電話で私が保健室に行った時には、パニック状態のKATが両手を上げて、血だらけのタオルでグルグル巻きにしていました。学校の方から去年と同じ外科に連絡を入れていただいてあり、一人の先生が付き添ってくださり一緒に外科へ向かいました。保健室でも車の中でも外科の待合室でも、KATから出る言葉は「注射しますか?」・・・不安はただ一つ!去年同じような状況を経験しているのだから、今から何をするのかはわかっているのです。
診察室に呼ばれ、傷を見たお医者さん・・・当然、去年の様子も知っています。KATが注射をしたくないのと同じように、お医者さんもできれば大騒ぎになる治療はしたくない・・・今回は両手で細かい傷は多いものの、そんなに大きくて深い傷はなさそう・・・縫合治療ではなく、テープと塗り薬で治療することにしてくれました。
“注射はしない”とわかった途端、KATは落ち着きました。普通は痛い(というより沁みる?)だろう消毒もなんのその、傷口をテープで貼るから「動かさないで」・・・全く問題なし!両手が包帯でグルグル巻きになって、まるでボクサーのよう・・・でも、お医者さん本当にありがとう!!
それは朝の出来事でした。なので、KATはそのまま学校に戻って、一日を過ごしたのでした。だって、制服のままだったし、先生も付き添ってくれていたし・・・“家に帰る”わけではなかったのですから・・・。